1. 仕事って何?
はい。
今回は、「仕事とは何か?」という、やや哲学的な問いからスタートしてみたいと思います。
ぼくの考えを言う前に、読者の皆さんにも、5秒でいいから、考えていただきましょう。
では、シンキングタイム、スタート!
・・・(5秒待ってね)・・・
チーン!
はい、回答、出ましたか?
それでは答を発表します。
「ズバリ!お金を稼ぐことです!」
て思った方、これだとあまりにも普通だし、脱サラブログにしては、発展性がないすよねw
すみません、「仕事とは何か」なんて、答は人それぞれ決めればいいんですが、ここでは敢えて、
「仕事とは、才能の分かち合いですよ!」
という風に考えてみると、どんなことになっていくのかを、考えていきたいと思います。
ちなみに、今、気がつきましたが、クイズ風にしたくせに、このブログの記事タイトルに答のようなものがガッツリ載ってましたね。
まあいいとして、次行きましょ、次w
2. 才能って何?
はい、「才能」って、なんですかね?
シンキングタイム、スタート!
(もういい?w)
「才能」って言葉を聞くとぼくは、元メジャーリーガーのイチロー選手を思い出しますね。
だけど、「才能」って、そういう一部の人の持つ特殊なものなんでしょうか。
野球というわかりやすい才能を持つ人は、一部の特殊な人だけが持つというイメージですが、もっと身近なことも、ぼくは才能ととらえています。
例えばこんなのも、才能です。
- お菓子を作るのが好き
- DIYが好きで、いすや棚などを手作りできる
- 家庭菜園で野菜を作れる
- 子どもと遊ぶのが好き
- 相手の話を何時間でも聴き続けられる
- 絵を描くのが得意
どうでしょう。
上に挙げたようなものは、野球のイチローほど難しくはないですが、それをできる人、好きな人というと、限られてくるのではないでしょうか。
こんなものも才能という風に範囲を広げてとらえることができれば、
「自分には何の才能もないから」
などと、口が裂けても言えないのではないでしょうか(「口が裂けても」ほどではないかw)。
3. 才能の分かち合いってどういうこと?
さて次に、「才能の分かち合い」ですね。
例えば上に挙げた、「お菓子を作れる才能」。
自分のためにだけお菓子を作っていても、食べられる量にも限界があるし、自信作はお友達にも食べてもらいたくなりますよね。
そこで、自分の「お菓子作りの才能」を生かして、お友達にお菓子をプレゼントして、食べてもらいます。
これが、「才能の分かち合い」です。
簡単でしょ?
家庭菜園が得意な人は、できた野菜を友達にあげればいいし、子どもと遊ぶのが好きな人は、親戚が集まったときに小さい子と遊べばいい。
するとどうなるでしょう。
お菓子をもらった人から、「ありがとう」の言葉がもらえますよね。
野菜をあげた人からも、「ありがとう」
親戚の子どもと遊んだら、遊んでるだけなのにそのお母さんから、
「子どもと遊んでくれて、久しぶりにみんなとゆっくり話ができたわぁ。ありがとう。」
なんて言ってもらえそうですよね。
これが、「才能の分かち合い」です。
4. 仕事って別に、会社に勤めなくてもできるじゃんw
貨幣経済が発展する前も、発展した今現在であっても、こんなやりとりは日常的に行われているはずです。
ただ、貨幣経済の発展前後で異なるのは、「ありがとう」とともに、お金の移動があるかないか。
多くの人が、暮らしをお金で考えてしまうけど、こうやって考えると「お金」って、ありがとうという感謝の形であるし、お金を介さなくても「ありがとう」は循環する。
才能を分かち合うこと、そしてその結果、お金じゃなくて感謝をもらうこと、これを「仕事」として捉えると、けっこう楽しいと思うのです。
少なくとも、「そんなのはお金にならないから」などと言って自分ができることや好きなことをやらずに、お金をもらえるからという理由だけで嫌いなことばかりやったり、常に我慢をしている、そんな状態よりはよっぽど楽しいでしょう。
そしてその考えを発展させていくと、
「あれ。仕事って別に、会社に勤めなくてもできるじゃん。何これ、ウケるw」
ということになるでしょう。
「仕事」
もっと気楽に考えてみませんか?
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